序
子どもの精神科(児童青年精神科)の重要性は長らく指摘されてきましたが、専門家を養成する施設も、働く場所も少なく、この分野はずっと取り残されてきた様に思われます。「これから増加するのは老人であり、子どもの人口は減る」というマスコミなどの論調により、半ば置き去りにされている感がありました。「子どもの健全な成長を促進することこそが、増加する老人を支える成人の創出にとって重要である」と主張しても省みられることは少なかったのではないでしょうか。そうした世論が変わってきたのは、7〜8年前からであり、青年の引き起こす不幸な事件がマスコミを賑わすようになってからでした。このあたりから、「子どもの方も大変なことになっている」という社会的認識が得られるようになってきました。しかしながら、我が国のこの分野は、世界的にみてもまだまだ立ち遅れており、社会的要請に応えているとは言い難いものがあります。全国の大学医学部を見渡しても、子どもの精神科講座は未だに確立されていません。子どもの精神科専門病床も全国で800床程度とされており、成人の32〜33万床とは比べようもありません。それでも、平成14年度から、20歳未満の精神科医療に対する保険診療上の加算が認められ、首都圏では「発達障害」を看板に掲げる診療所が少しずつ増加しています。この分野に興味をもち研修を希望する医師の数が、小児科医や精神科医を中心に増えてきています。ここ数年来、子どもの精神科に対する社会的要請は増加していますから、働く場所や経済的裏づけが確立されれば、必ずや今後の発展が期待されると思われます。
一方、社会の複雑化、家族機能の低下などが進むにしたがって、この分野の治療を医療単独で行うことは困難になっています。学齢期の生徒については教育の保障が、家庭内の問題が複雑な場合は児童相談所や福祉事務所などの援助が、逸脱行動や補導対象行為が目立つ場合は、警察や家庭裁判所などの介入などが必要となっています。引きこもり、虐待、学級崩壊など社会的に話題になっていることの多くは、その解決にいくつかの分野の協同作業が必要とされる事柄です。医療、教育、福祉、司法などの多くは、長らく縦割り社会の中で別途に動いてきたものですが、これからの社会的要請に応えるには、縦割り社会の壁を取り除いて行くことが不可欠な課題となるでしょう。
本書では、これらのことを念頭に「知っていてほしい基礎知識」として、子どもの精神科医療の現状、子ども社会を取り巻く環境、親子関係など7つのセクションを設けました。現状や基礎知識の把握が容易になるよう、医療・心理などの臨床家に執筆をお願いしました。
また「Q&A」編では、症状、疾患、精神科治療、他分野との連携、社会資源などについて取り上げました。それぞれ一問一答形式で、分かりやすい回答を目指しています。「症状」としては60項目を選び、具体的な臨床的対応を説明しました。「疾患」では25の疾患を取り上げ、これらの精神疾患の概要について臨床的記述を行っています。「精神科の治療」としては、治療技法、検査項目、周辺の治療科との関係など、実務的内容を取り挙げています。「他分野との連携」については、教育、福祉、司法などを中心に、機関、職種など対応のノウハウを提示しました。「社会資源」の中では、公的扶助や受け皿となる場などについて説明をしました。
本書が、この分野に携わる医療関係者のみならず、保健、教育、福祉、司法など関連する領域の方々にとって、具体的な臨床場面で役立つことがあれば幸いです。さらに、この分野に興味を持つ若い方々にとっての入門書となれば望外の喜びです。
2004年7月吉日
市川宏伸、内山登紀夫、広沢郁子