●はじめに
「漢方医学,いわゆる東洋医学の歴史は非常に長い。それ故に,マスターするには非常な年月と努力が必要である」…言われてみれば確かにそのとおりです。しかし,単に漢方に携わった年数が多いからといって,漢方上手になれるわけではありません。日本東洋医学会などに出席すると,年輩の医師から「私は漢方歴何年です。」とか,「私のこれまでの経験によれば…」というような言葉をよく耳にします。これらの先生方が漢方の名医であるかというと必ずしもそうではないのです。漢方の経験が多いにこしたことはありませんが,何十年間も漢方をやっていても,よい症例に出会えなかったり,せっかくよい症例に出会えても,勉強不足であったり,自己流でやっていたり,向上心がなかったり,漢方センスがなかったら,猫に小判と同じことです。経験年数が浅くても,ちゃんとした施設で系統だった研修を受け,勉強熱心で向上心のある漢方センスのよい医師のそれには,遠く及ばないものです。高校野球を例にとってもわかるように,何年もの年月をかけて,がむしゃらに一生懸命練習しても,みんなが甲子園に行けるわけではありません。野球センスのない者が独自にいくら練習しても,うまくなれないし,うまくなれても限界があって,ある程度のレベルにしか到達できません。甲子園のレベルに達するには,生まれつきの野球センスが必要です。しかし,いくら野球センスがあっても,よき指導者やよきライバルのいる環境に巡り会えなければ,ある程度以上のレベルアップが望めないのも事実です。これは逆にいえば,よい指導者やよい環境に巡り合えると,才能が発掘されたり,才能が開花したり,下手な者でもある程度以上の上達が望めることを意味します。
漢方の世界でも同様のことが言えます。「学問に王道はない」とよくいわれます。そのとおりかも知れません。しかし,王道はなくても,遠まわりをしないで済む方法があるはずです。漢方に興味をもって,ある程度以上のレベルの医療がしたいと思うなら,とりあえず,よい指導者に巡り会ったり,よい書物に出会うことが必要です。現在では漢方に関する情報が一杯あり,自分にその気さえあれば,よき指導者に巡り会うことは十分に可能です。どうしてもそれが出来ない場合は,漢方の専門書が数多く置いてある書店に行って,じっくり時間をかけて,他人がどう言おうと,とにかく自分にピッタリくる,できるだけメジャーな本を選び,座右の書にできるくらい読破して,自分自身のよき指導書にすることです。それから先の漢方の上達は,よき指導者,指導書でもどうすることもできません。先にも述べたように,個人の漢方センスによらざるを得ないからです。
本書は私自身の臨床経験を中心に述べているので,考え方や処方内容が偏っていて,他の漢方専門医から「それは間違っているだろう」とのお叱りを受けるかも知れません。その意味では,本書がそのよき指導書に値するかどうか定かではありませんが,私自身はこれで「かなりのところまでいっている」と勝手に自負しています。というのも,たくさんの漢方の大家といわれる医家の,さまざまな考え方や臨床経験が,盛りだくさんに書いてある著書を広く浅く読むよりは,偏った考え方の医者であってもよいから,基本的なことさえ間違っていなければ,1人の漢方医の著書をじっくりと時間をかけて読むことの方が,初心者にとってはよっぽど勉強になるし,わかりやすいと思っているからです。そのようにして読破した著書が間違っていると思えるくらいになったら,かなりのレベルにまで自分自身が到達できたことを意味しますし,間違っていると思われる箇所を自分で直していって,自分自身の書にすればよいのです。漢方は古くて新しい医学です。古書に書いてあることがすべて正しいと,現代の医療現場からみては言えません。昔の環境とは大きく違っていますので,現代の複雑多彩な病状に,逐次マッチさせていく必要性が生じています。本書はその意味での新しい呈示だと考えていますので,完璧なものではなく,今後の多くのエビデンスによって,改訂されていかなければならないと思っています。特に,西洋薬との併用に関しては,本書でもいろいろな問題点を残しています。それは,古書にはまったく見られない新しい分野であること,私自身の限られた経験症例数での判断に基づいていること,併用西洋薬の種類が限られたものであること等です。これらに限らず,漢方全般にわたって,今後のさらなる検証が要求されるところです。
さて,本書の内容を便宜上,初級レベルと中級レベルに分けて述べることにしました。これは便宜上分けただけであって,初級レベルだからといって,治療の内容が中級レベルより劣るわけではありません。ただ,初級レベルの場合は,限られた症例しかみれない場合があるということです。すなわち,私がここで便宜上,初級レベルと中級レベルに分けて述べているのは,初級レベルは「保険適応のあるエキス製剤のみで漢方治療を行おうと試みる場合」で,中級レベルは「エキス製剤だけでなく生薬治療や鍼灸治療も含めた総合的な治療法を試みる場合」として述べているだけのことです。総合的な漢方の専門治療を試みる場合には,いわゆる上級レベルの知識が要求されます。本書では敢えて上級レベルという項目をおきませんでしたが,上級レベルの定義が難しく,場合によっては誤解を招くことがあるので割愛しました。その意味では本書で述べている初級・中級レベルに留まらずに,それ以上の,いわゆる上級といわれるレベルまで勉強,研修して頂きたいと思っています。しかし,みんなが中級レベルや上級レベルまでの治療をやろうと思っても,できるものではありません。それは,初級レベルの治療は巷にエキス製剤が氾濫しているし,その効能書きも確立していますので,漢方治療をやろうと思えばいつでも可能で,独学でもできるようになっていますが,中級・上級レベルの場合は勤務医の場合では自分の努力だけでは難しいのです。それは,エキス製剤の処方は容易にできますが,生薬の処方の場合,どこの調剤薬局でも引き受けてくれるわけではないからです。まず,生薬を引き受けてくれる薬局を探し出す必要があります。しかし,その薬局が患者さんにとって,あまりにも不便なところや,遠い所であっては意味がありません。開業していれば,自分で経済的に許せる範囲内で生薬を購入して処方することはできますが,生薬は量的に多く,かなりの場所を占拠しますし,その保管が非常に難しいのです。また少量しか処方しない生薬に対する不経済性も生じてきます。漢方薬を調剤してくれる薬局にしてもそうです。コンスタントに多くの処方箋が出ないと,少量の処方箋しか出ない場合では,不良在庫が多くなってしまい,その生薬に虫がわいたり,カビがはえたりして使い物にならなくなってしまう危険性があるからです。
そのようなわけで,中級・上級レベルの漢方治療を試みる場合にはおのずから制約が生じ,医師であれば誰にでもできるというものではありません。ですから,この意味では,初級レベルの漢方治療をできる医師は今後も多くなる可能性がありますが,中級レベル以上の漢方治療をできる医師は条件面で限定され,今後も多くなる可能性は少ないと思われます。
このように,生薬治療がエキス製剤治療より遅れている原因の大きな要因として,よい品質の生薬の確保と管理の難しさが挙げられますが,別の意味での要因の1つとして,大手漢方薬メーカーが,与しやすいエキス製剤に走ってしまい,生薬に対してあまり力を注がなかったことが考えられます。その後遺症とでもいうべく,大手メーカーが政治的に力を入れなかったために,保険適応である生薬の薬価が低く,種類も少なく,真面目に誠実によい品質の生薬を提供している漢方薬局では,保険適応薬の処方箋が増えれば増えるほど,赤字になっていくという,不可思議な結果が生じています。保険適応薬を保険の範囲内で利潤を生じさせるためには安い生薬を入手する必要があり,そうやって入手した生薬の品質は必然的に悪くなっており,よい服薬効果は望めそうにないのが現状です。
次にまた,中級・上級レベルについては,鍼灸を学べる環境にいることが大きな問題になります。しかし,鍼灸師の養成学校はここ数年間で爆発的に増えてきたような感じがします。全国各地域に,くまなく鍼灸・マッサージ師や柔道整復師がいます。それ故に,鍼灸の分野は鍼灸師に任せれば済むことですが,漢方治療全体からみれば,それらを理解して,適切な診療をしたりするためには,鍼灸等の代替医療の知識と経験は欠かすことができません。それ故に,自分でもある程度の鍼灸の知識を修得する必要がありますし,実際に施術できるレベルに達する必要があるものと思われます。本書がその一助になればと,心から願っている次第です。
第II章の 一覧表の中で,◎・○・△・×のような記号で示しているのは,あくまでも初心者のために参考として記しただけのものであって,絶対的なものではありません。これらは私のこれまでの臨床経験から述べているだけのものであって,なぜなんだと言われても,私自身,それに対して根拠を示すことができません。参考程度に思って下さい。ですから,「これは違っている」というような箇所が,いくつか出てくるかも知れません。その際は各人で,自分自身の経験を信じて,納得のいくように訂正して,自分のための書になるようにして下さい。本書が各人自身,それぞれが信頼できる「自分自身の漢方書」のモデルになれば幸いです。
ここで,話しは少しかわりますが,中級レベル以上をマスターすると,漢方の新しい世界が開けてきます。ワクワクするような楽しいことが一杯生じてきます。それは「漢方ならではの楽しみと喜びであって,漢方をやっていてよかったと思えるもの」です。具体的に話してみますと,「漢方の新薬が自分の裁量で自由に製造できて,治験をすることなしに患者さんに処方することができる」ということです。西洋薬の場合,新薬の開発はいろいろな制約があり,製薬大手の大会社をもってしても大変なことです。一個人の医師などに,到底できることではありません。それが,生薬治療の場合では自由にできるのです。今のところなんの制約もありません。もう少し具体的に述べてみますと,「桂けい枝し湯とう」に葛かっ根こんと麻ま黄おうという生薬を加えたら「葛かっ根こん湯とう」という別の漢方薬になってしまいます。実際の臨床現場では,生薬治療では,患者さんのその時々の身体状況に応じて,いろいろな生薬の加減を行うことがあります(その際,生薬を加減することによって,もとの漢方方剤とはかなり性質の違ったものになる場合もありますので,常に患者さんの証に合わせながら加減することが大切です)。こうして処方された漢方薬は,実際には新薬と同じものです。私はこのようにして処方した漢方薬に対して,自分で勝手な方剤名を命名しています。例えば,「風邪薬CHO-1」,「風邪薬CHO-2」…というように。漢方だけではなく,鍼灸・マッサージの分野でも同じです。新しい治療経穴を自分で発見して,命名することも可能なのです。これも,私は勝手に自分なりに命名しています。「肩こりツボCHO-1」,「肩こりツボCHO-2」…というように。また,上記の話しの内容とは少し異なりますが,エキス製剤のみの処方では2剤,3剤処方になってしまうようなケースでも,生薬治療の場合では,1剤として処方することが可能になります。例えば,補ほ中ちゅう益えっ気き湯とうを処方している患者さんが,便秘がちになって,便秘薬を希望した場合,エキス製剤のみの治療の場合では必然的に2剤になってしまいますが,生薬治療の場合では補ほ中ちゅう益えっ気き湯とうの成分生薬に,例えば大だい黄おうなどを追加すればすむことになり,全体的には1剤とみなされ,その結果,1剤処方ということになってしまいます。
以上,いろいろ述べてきましたが,先に出版された「よくわかる新しい東洋医学入門講座」(永井書店刊)に次いで,その応用編とでもいうべく本書が出版されるに到ったことは,私にとっては望外の喜びです。「よくわかる新しい東洋医学入門講座」はかなりユニークな内容のものですが,先にも述べましたように,本書も私自身の臨床経験を中心にしたものなので,内容的にはかなりユニークなものになっていると思います。漢方の治療に限らず,われわれ臨床医は,病に罹患している患者さんが求めてくる医療に対して,適切に応えていかなければならない義務があります。患者さんの満足が得られないような医療行為では意味がありません。漢方理論や治療方法を多くの成書で一生懸命勉強しても,実際に病んでいる患者さんを治せなければ臨床医としては失格です。そういった意味でも,これらのユニークな拙著が漢方医学を志す人々の一助となり,かつ,座右の書となれば望外の喜びであり,そうなることを切に願う次第です。
平成16年9月吉日
趙 重文