序 文 「カラーアトラス新泌尿器科手術手技図譜」を上梓するにあたって
泌尿器科の手術手技の進歩は,まさにめざましい.腹腔鏡やさらにロボット技術を使った先端医療の勢いは,日の出の勢いと言える.学会発表には,まばゆい輝きを感じる.一方では,日常臨床で大学からローテーションで回ってくる後輩達と手術をしていると,まずは地道な開放手術の技術の伝達が必要とも思われる.そんな折り,題材を,手術に望む心構えや,基本的な小手術から取り上げ,進んでは一部は腹腔鏡手技がリードしているが,なお開放手術が主体である泌尿器癌の全摘術までとする図譜の出版を,永井書店より高井と亀山が依頼された.二人でこれまでとは異なる本を,一つの信念のような下で作ってみたいと考え,あえて分担執筆にはしなかった.『知る者は言わず,言う者は知らず.』というが,何も知らない高井がとにかく全てに取り組んで見ようと,日本赤十字社医療センター手術室看護師一同の協力を得て,同センター泌尿器科症例の手術手技図譜を書き上げた.ただ高井の独りよがりにならないよう,東京大学泌尿器科学教室同期の亀山が,これを校正した.そして,阿曽名誉教授の監修を仰いだ.
しかし,出版当初から反省ばかりの日々であった.多数のスライドの山と写真に埋もれ格闘し,文章を照らし合わせたつもりだったが,思ったほど写真が鮮明でなく,浅学非才の至りで意味がつながらない写真と記述もあり,穴があれば入りたい心境であった.ところが,筆者の悩みに反し,前著の「泌尿器科手術手技図譜」は,向上心旺盛の若手泌尿器科医から,予想を超えた支持を得た.
一方では,技術が完成したような記述をしておきながら,筆者はその後,長期透析例の悪性腫瘍手術で予見しえなかった合併症を起こした.憂鬱な筆者の思いとは無関係に,その後も治療方針に悩む症例が次々に受診した.治療が消極的になりかけた時,その患者の紹介医が筆者の心の中を見透かしたのか,『外科医は日和見主義になってはいけない.』と言った.内科医も彼らの治療の限界を知っている.だからこそ,我々を信用して外科手術に希望を託すのである.我々もドン=キホーテと同じかもしれないが,外科治療の限界を認識しつつ,その最大の恩恵を患者に与えられるよう努力すべきと,思いを新たにした.
これらの事情が,“手技は日々進歩すべき”という筆者の信条を呼び覚まし,再度書き直しを迫るパッションとなった.もう一度,高井が“スライドソーターで日焼け”しながら,デジタルカメラも利用し,思い切って大幅に書き直した.稚拙ながら自身で描いたスケッチも加え,その後の経験例の手技も追加記載し,図譜も1,000を越えた.永井書店高山静氏からは,全写真をカラーでという配慮も有り,新しい手術手技解説本になり得たかと思う.
本書の新たなポイントは,
1)若手医師の手術の当面の目標は,いきなり大手術をわけも分からず行うのではなく,容易と思われている手術を要領良く,手早く,合併症なく行うことである.初めに担当する陰茎,陰嚢の各種の手術例を増やし,その各手技を示した.
2)開放手術の腎摘除術,前立腺摘除術,膀胱摘除術は,その手術時間は長く,全体像を写真で全て表すと膨大な量になる.理解を助けるため,はじめにスケッチで手術の手順図を示した.筆者自身の手術手技も,年毎に変わっていく.紙数の限界もあり,前著で取り上げたものの一部は削除し,他の興味ある症例を追加した.
3)総合力を試される卒業試験の様な膀胱摘除術+新膀胱作製術の項目を,男女別,逆行性,順行性の違いから記述した.さらに新膀胱作製術の各種の方法を示し,充実させた.尿路再建手術は結果が勝負であり,その手術後のレントゲン写真も示した.
まだまだ本著に不満は多いであろうし,真意が伝わらない記述もあるかと思うが,次世代の泌尿器科医の躍進に,少しでも貢献できたらと切に願うものである.
本書を上梓するに当たり,前著から引き続きほとんどの写真を撮影し続けてくれた日本赤十字社医療センター手術室看護師一同に,もう一度感謝する.彼らは外回りの仕事をしながら一生懸命撮影してくれ,プロのカメラマンでも諦める恥骨下の写真など,良い写真を撮ってくれた.例えば,根治的神経温存前立腺摘除術で,血管束を背側に落とした後,前立腺背側と直腸腹側の間隙に挿入した鉗子を,『きれいに撮影してくれ.』という筆者の無茶な要求にも応えてくれた.拡大鏡を付けている筆者は,『見えるだろう!』と怒鳴り,自分だけの世界に没頭していたことを,今は十分に反省している.彼らの協力が無ければ本書は成り立たず,心からお礼を述べる.
また前著に引き続き,本書の編集にあたり終始御尽力いただいた永井書店高山静編集長ならびに膨大な写真に取り組み,かつ筆者のその都度大幅に変える校正にも根気強く協力された永井書店山田勇氏に深く感謝する.
にもかかわらず,記述の中で読者に理解しがたいところがある場合は,それは前著と同様に,筆者の責任である.
2003年 10月 高井計弘