【よくわかる 甲状腺疾患のすべて】
序:甲状腺ホルモン,甲状腺腫,甲状腺機能異常症
本書は研修医,実地医家,コメディカルの方たちを対象にして企画された.はじめに,臨床編として,頻度の高くかつ重要な代表的な甲状腺疾患の診断と治療を扱った.第2部,臨床の応用編として,その診断に必要な検査,バセドウ病や橋本病の特殊型,治療上の注意,新しい治療法,頻度は少ないが重要な疾患を,第3部,基礎編として,最近解明されつつある発症機序,病因や病態にかかわる事項,トピックス,実験モデルなどをそれぞれの専門家にわかりやすく解説して頂いた.
甲状腺は前頸部下方にある15〜20gの表在性の内分泌臓器であり,甲状腺腫の発見は比較的容易である.また甲状腺ホルモンの作用は成人においては代謝の亢進と熱の産生であり,その過不足は症状として現れやすく,甲状腺機能異常の存在も容易に気づかれる.胎児においては脳の発育に重要なホルモンである.
しかし,頸部の形状によっては甲状腺腫を認めにくいことがある.首が短く,筋肉の発達した男性では触診しにくい.逆にスワンネックの女性では気管軟骨の上にみられるが,時には頸部の筋を甲状腺の腫脹と見誤られることがある.中等度以上に腫大すると視診でも甲状腺腫を認めることができるようになる.さらに腫大すると甲状腺下極は鎖骨窩から胸骨背面まで発育し,胸部X線写真で認めることができる.また前側方にも腫大するので,びまん性に腫大するバセドウ病や橋本病では胸鎖入突筋が扁平となり,胸鎖入突筋が摘めなくなる.高齢者のバセドウ病甲状腺腫は極めて小さいことが多い.
甲状腺は血中から無機ヨードをヨードトランスポータという甲状腺膜上の輸送蛋白によって,能動的に取り込む.無機ヨードは甲状腺特異酵素であるサイロペルオキシダーゼによって,有機化され,サイログロブリンに結合する.大分子のサイログロブリンは甲状腺特異蛋白であり,甲状腺細胞によって球状構造に形成された甲状腺濾胞腔内にある.サイログロブリンの構成アミノ酸で比較的豊富にあるタイロシン残基に,有機化されたヨードが結合し,モノヨードタイロシン,ジョードタイロシンができ,その縮合によりトリヨードサイロニン(T3),サイロキシン(T4)が合成される.サイログロブリンの一部が濾胞側にある輸送蛋白メガリンによって甲状腺細胞内に運ばれ,加水分解によってT3,T4は遊離し,血中に放出される.
これらの反応は甲状腺自身では機能できず,TSHが甲状腺膜上にあるTSH受容体に結合し,甲状腺細胞内に産生されるcAMP,一部IP3を介して機能が発揮される.またTSHの刺激により細胞増殖も起こる.
血中に分泌されたT3,T4の99.9%以上はサイロキシン結合グロブリン(TBG),一部プレアルブミンやアルブミンに結合して,貯蔵されている.蛋白に結合していない遊離のT4は0.02%程度で,これが末梢細胞の膜を通過して細胞内に入り,脱ヨード酵素によりT4→T3となる.T3は細胞核に移行し,DNA配列のプロモーター領域に結合しているT3受容体に結合し,末梢細胞の特異蛋白や酵素がつくられ,代謝が維持される.遊離T4はエネルギー産生系では熱の産生に関与して体温を維持する.
下垂体のTSH産生細胞にもT3受容体があり,細胞内で産生されたT3が結合して,TSH産生にネガティブフィードバック機構が働く.またTSHの分泌は視床下部細胞核から分泌されるTSHやドパミンの作用が関与する.
甲状腺腫はびまん性甲状腺腫が63%,結節性甲状腺腫37%に大別され,びまん性甲状腺腫ではバセドウ病55%,橋本病30%,無痛性甲状腺炎3%,単純性甲状腺腫12%である.
従来甲状腺機能亢進症といわれていたものは抗TSH受容体抗体が認められ,バセドウ病と診断されるようになった.甲状腺機能亢進症を示すのはバセドウ病90%,無痛性甲状腺炎5%,亜急性甲状腺炎5%である.
橋本病は血中甲状腺抗体の検出によって診断される.単純性甲状腺腫と思われていたものは抗甲状腺抗体の高感度定量法の開発により,その頻度は20%台から10%台に減少した.
結節性甲状腺腫は良性84%,悪性16%である.最近では,特殊なものを除いて良性腫瘍は手術しないので,穿刺吸引細胞診で行われる良悪性の鑑別が重要となる.細胞診診断医の技量が患者のQOLを左右することになる.
治療に関する最近の進歩では,良性腫瘍に対してはエタノール注入療法が第一選択である.薬剤の使用できないバセドウ病で,亜全摘を拒否あるいは手術できない,かつ放射性ヨード治療の拒否例や術後あるいは放射性ヨード治療後の再発例などにエタノール注入療法が応用されている.
手術の欠点は手術創が可視部に残ることである.最近では甲状腺に対する手術は若い女性のみならず,老婦人でもQOLの点から敬遠される.甲状腺専門外科医のいる多くの施設では,胸部や腋窩から内視鏡を挿入する内視鏡補助手術が行われるようになった.
ヒトゲノムの解析技術の進歩はTSH受容体の一塩基置換による機能性甲状腺結節,甲状腺機能亢進症や低下症などが明らかにされている.甲状腺癌におけるチロシンキナーゼ遺伝子異常や細胞内情報伝達系の異常,MEN
II AにおけるRet遺伝子の異常,甲状腺癌における予後規定因子としてp53の異常は臨床に応用されつつある. バセドウ病や橋本病などの自己免疫性甲状腺疾患は多因子疾患といわれ,疾患感受性遺伝子の検索が進行している.またバセドウ病の発症や寛解の得やすさなどはSNPsの解析から明らかになるかも知れない.
バセドウ病,橋本病や遺伝子ノックアウトマウスの実験モデルからは病因や病態の解明に繋がる知見が得られつつあり,今後の発展が期待される.
甲状腺,甲状腺腫,甲状腺機能異常症,新しい治療などについて概説したが,さらにご理解頂くためにはそれぞれの項をお読み頂きたい.
最後に本書出版にあたり御尽力頂いた永井書店編集長の高山静氏ならびに山本美恵子氏に深く感謝致します.
平成15年9月
伴 良雄