序 文
救急外来は毎日が人間関係の戦争である.予測がつかない患者が次々に受診してくる.重症な患者が受診した場合,救急外来ではどの病棟で入院治療を担当するのが適切か,各診療科間での葛藤は絶えない.そこでは新たな医療者間の日頃の人間関係が露呈されてくる.特に,こころの問題を抱えた患者が受診した場合,問題はより深刻である.忙しい中とはいえ,救急部のスタッフも,こころの問題を冷静に受け入れる余裕が必要ではあるが,実際は救命救急の処置でそんな時間も見出せない.精神科医へのコンサルテーションとなるのが通例であるが,精神科医の中でも救急が苦手な医師もいる.問題はさらに深刻となる.
そもそも,救急部を受診する患者をみんなで協力して,助けていこうというコンセンサスを病院全体の医療スタッフが持っているのだろうか.救急医の意見,他科医の意見,ナースの意見がそれぞれ独立しており,意見がうまくかみあわない場合がある.救急部に援助を求める患者は“やっかいもの”なのだろうか.確かに,救急を要する患者が受診してくると,各診療科の治療計画(予定の手術・検査など)が大きく混乱し,不平不満が生じてくるのも仕方ない現実がある.しかし,地域で生活している人たちからみれば,救急外来は最も地域に貢献している診療部門であり,必要不可欠である.ここに,社会のニーズと病院全体の安定した治療環境の維持との間に大きなジレンマが生じる.
そこで,病院全体として救急医療を円滑に進めていくうえで,何が一番重要なのだろうか.私は「各診療科間の信頼関係」であると思っている.お互いの立場を十分踏まえた上での「信頼」である.当然,眼前で治療を行っている救急部医師にイニシアティブをとってもらうわけであるが,それを受け入れる側の診療科も救急部の判断を尊重するシステムがないと,救急患者の行き場所を失ってしまう.こころの問題で自殺企図によって受診してくる患者の問題は特に深刻である.救急医と精神科医がお互いの都合を主張し論争しても,そこにいるのは患者であり,その論争によって患者を援助することはできない.真実に,何の駆け引きもない透明なこころで,患者の問題行動に対処しなければならない.このようなごく当然なことが,いまだに実践できていないのが救急外来の現状であるのかもしれない.
本書は,こころの問題で受診してきた患者に対して,救急医と精神科医がそれぞれどのような考え方でアプローチしているかを「綜合臨牀」に2年半連載したものをまとめたものである.いずれの症例もさまざまな葛藤やジレンマだらけで,現場の生の叫び声を活字に表現したものである.臨床はいつまでたっても,科学的な論理的なメカニズムで人を納得させるものはなく,そこには毎日のように人間と人間の生臭い衝突の連続であり,その衝突こそが治療的であったりする.
しかし,医療者の衝突はともかく,患者の前では決して,その衝突を見せるわけにはいかない.好意,敬意,共感的理解をもち,自分のことであるように感じる能力が必要とされる.相手の言葉にこもっている感情的,情緒的な内容を正確にくみとり,どういう意味をもつかを理解しながら,適切な処置を施さねばならない.円滑な治療を行う上で,地域病院との連携強化,病院における役割の明確化,病院間のコミュニケーション強化,医療者間の信頼の確立と日頃のコミュニケーション,など問題は山のようにある.このような矛盾の多い医療システムの中で,救急医療における矛盾を全部正直に吐き出したのが本書であるともいえる.
本書を通じて,再度こころの救急医療を考えてもらいたい.どのような対処の仕方がよいのかは症例によって異なると思われるが,そのような議論がなされること自体が重要である.救急医,精神科医,その他の診療科の医師がお互いに意見を述べあい,個人的な感情を抜きに,最善の方法を模索することが必要とされている.本書はこれまでにない二つの診療科の医師が同じ症例で意見をぶつけ合うというスタイルをとっている.今後,このような各科の医師が協力しあって,実践的な本を出版していかねばならない.各診療科の壁を打ち破ろうという姿勢が一時強まっていたが,最近は再び以前の診療システムに戻りつつあるような気がする.コンサルテーション・リエゾン・サービスの本来の姿は,相互の診療科が振動しあい,流れるような医療を形成することにあると思っている.本書を通じて,少しでも理想的な診療システムが出来上がればと期待している.
佐藤 武
加藤 博之