平成16年に第14回日本がん転移学会会長の任を受け,この1年間微力ながらも癌撲滅に一石を投じたいと考えてきた.当学会の主たる活動の一つに研究推進事業があり,これを機会に長年の構想であった肝転移についての総合的な書物を刊行したいと考え,癌転移学会の会員の先生を始め多くの先生にご協力をお願いした.
日本がん転移学会は基礎,製薬,臨床がクロスオーバーして参加する学会で,その趣旨は3者の知識を用いあわせることにより現実的な癌転移の治療方法を開発することを目的としている.したがって,本書も前半部分を基礎編として肝転移のメカニズムを解明することを目的とし,後半は臨床編として肝転移の診断から,治療までの現状を紹介していただいており,総合的に肝転移を理解することを目的としている.
肝転移の基礎
肝転移の成立過程は,癌転移に共通して関係する原発巣から癌細胞が遊離して血管内に侵入するまでの段階と,臓器特異的と考えられる標的臓器の血管内皮に接着してから転移巣として成長するまでの段階に分けられる.主に前半を支配するのは接着分子,細胞運動因子,蛋白分解酵素などであり,後半は増殖因子,血管新生因子,局所免疫などが関与するであろう.特に,転移に関する基本マシナリーはかなりの部分まで解明されてきたので,今後は臓器特異的な転移メカニズムの解明を期待したい.また,臨床経験では肝転移は肺転移など他の臓器の転移より成長が早い,化学療法が効きにくいという印象をもつ.このような臨床家の素朴な疑問も基礎的に解明してゆきたい.網羅的遺伝子解析は近年の医学研究におけるもっとも大きなトピックスであるが,この手法は転移の原因遺伝子を検索するのに有効なだけではなく,遺伝子発現パターンを解析することにより,原発巣と転移巣の癌は同じなのだろうか?癌はどの段階で転移能を獲得するのか?といった転移に関わる根源的問題を解明しつつある.
肝転移の臨床
剖検では癌の半数に肝転移が認められ,肺,リンパ節などと並びもっとも頻度の高い癌の転移形式である.また,大腸癌,肝細胞癌などは肝臓以外に転移のみられないというケースも多くある.解剖学的な要因なのか生物学的要因かは明らかではないが,これらの癌では肝転移は治療標的として他の臓器の転移とは重要性が全く異なる.根治の可能性があるということはPET,SPIO MRIなど最新の診断技術を駆使し早期発見,多発転移を診断することが重要になってくる.肝転移が局所病であるならば外科切除,移植などが究極の治療になるが,そうでないケースでは化学療法やablationなどの適応になってくる.
肝転移といえば大腸癌と考えられがちであるが,実際は膵,胃,食道,乳癌など多くの癌で肝転移は最も多い血行性転移である.臨床実地では手術適応,抗癌剤選択などの肝転移治療は臓器特異性が非常に強い.本書ではかなりの部分を割いて各臓器ごとの肝転移の意義を検討したので肝転移の診療ガイドラインとして参照していただきたい.また,最近のホットな話題としては,分子標的治療である抗血管新生薬が肝転移に有効であるというのが臨床試験で報告されている.抗血管新生薬の開発は,臨床,基礎,製薬の融合として本学会の理想とするモデルであり,今後どこまで成績,適応を伸ばしてゆくか注目される.
最新の知識と技術を充満させた本書においても,近年の生物学,医学の急速な進歩に対しては10年間その価値を維持し続けるのは困難かもしれない.しかし,いくら臨床,基礎の個々の研究者が断片的な知識を持ちあわせていたとしても,総合的な理解がなければ患者の利益に結びつくような新規の治療法の開発に結びつかないと懸念される.本書が基礎と臨床の最新の知識交換の場として利用され,現実の診療において少しでも患者利益に還元されることを期待したい.
末筆ながら,お忙しい中,分担執筆を快諾いただいた諸先生方,また乏しい予算と時間的制約の中でご尽力いただいた永井書店の松浦氏に改めて感謝の念を申し上げたい.