現在,わが国には約25万人もの透析患者が慢性透析療法を受けています。この数はわが国の国民約500人に1人が透析治療の恩恵を受けているという状況であり,欧州全体の透析患者数に匹敵する数といわれます。このような多数の患者を抱えている日本の透析医療は,今から50年ほど前に産声をあげたのです。透析療法は末期腎不全・尿毒症の治療として現在では誰もが知っている治療手段ですが,これが完成するまでに多くの先駆者の努力があって現在があるといえます。尿毒症の患者を前にしてなんら為すすべもなく,食事療法と利尿薬だけで見守るしかなかった時代に,苦悩の末に新しい治療法を夢みた若きコルフの執念が人工腎臓という治療法を生み出したといえます。今年はコルフが世界で初めて透析治療により尿毒症の患者を救命してから60年の記念すべき年に当たります。
オランダのコルフは第二次世界大戦中の厳しい状況の中で透析療法の臨床研究を行い,動物実験から自作の透析装置である回転ドラム型人工腎臓による臨床応用を行ってきましたが,戦後の1945年9月に肝腎症候群による急性腎不全の女性を救命することに成功しました。しかし当時は,この最新の治療法も一部の人にしか評価してもらえず,最新の治療法も特殊な治療法としか認知されませんでした。その後,朝鮮戦争において挫滅症候群による急性腎不全に人工腎臓が著しい効果を示したことから再認識され,それ以降透析療法は急速な発展をみることになりました。
透析治療の歴史をひもとくと,いかに多数の研究者や臨床家が努力を傾注して,現在のような治療体系を構築してきたかを知ることができますが,それ以上に研究を支えた影のスタッフや機械・装置の開発にあたった人たちの協力なしには成し遂げられなかったといっても過言ではありません。さらには新しい治療法に対して実験台になった患者が存在しなければ臨床応用は不可能でした。このような多くの人たちの協力により初めて人工的な臓器ともいえる装置により生命が維持され,社会復帰ができるまでになっています。わが国の透析療法は世界でも屈指の治療成績を示し,人工的な臓器により30年以上も生存できているという事実は驚嘆に値する人類の叡智の賜物といえるでしょう。
この透析治療は20世紀の産んだ科学の勝利ともいえますが,まだまだ解決するべき問題は山積しています。人工腎臓というのは生き身の腎臓のごく一部の働きだけしか行っていません。神様のつくった腎臓というのは人間には及びもつかない驚異的な作用をもっています。透析治療というのは拡散,濾過,浸透という物理化学的な作用により体内の環境を調整しているだけに過ぎません。このため長期の透析治療の間にさまざまな合併症が出現するわけです。解決できる合併症もあれば,いかんともし難い難問の合併症もあります。しかしながら,今日できなくても,ひょっとして明日にはなんとか対処する方法が発見できるかも知れないという人間の知恵の可能性を信じて治療を継続していくことが大切であろうと思われます。
透析治療には医学的な問題以外に,精神・心理的,社会的,経済的問題とも深くかかわり合っています。特に近年の透析医療の現況は高齢者や糖尿病を基盤とした原因による患者数の増加のため解決の難しい問題が数多くみられることになります。また,わが国の医療経済の締めつけによる影響も将来に暗い影を投げかけています。どのような未来が待ち受けているかの予測は困難ですが,今を生きるという観点から本書を上梓することにしました。同類の書物が多くありますが,本書では理解を容易にするために図表を多用し,簡明な記述を心がけました。初歩の内容からレベルアップした内容へと繰り返し記載していますから重要な部分を把握することができると確信しています。
本書が透析医療の現場で少しでも役立つことを願っています。