序 文
痛みについて,世界疼痛学会(IASP:International Association of Study for Pain)は,「痛みは組織の実質的または潜在的な傷害に結び付くものか,このような傷害を表す言葉を使って述べられる感覚,情動体験である」と定義している.
近年,医学の進歩は目覚ましいものがあるが,それが直ちに多くの疾病の克服に役立つものではない.医療は医学が社会的に受け入れられた時に成り立つものであるという厳然たる事実が存在している.今日,どのような疾病も完治させうる可能性が多く示唆されるようになっただけであり,そのすべてが治せる時代になったわけでは決してない.
現在の医療では,根治させうるものとそうではないものが,明確に判断・区別できるようになったというレベルにあるといえる.
したがって,難治性の疾病の解決に大きな努力が傾けられる一方,cureよりcareをという医療の大切さも強調される時代となっている.すなわち,患者のQOLの向上・維持に重点をおく医療ともいえる.
痛みは生体に生じた異常を知らせるサインの一つであり,それのみを消失させても根治療法とはならないので意味がないとする考え方が根強く残っていることは確かである.
もちろん,原因を消失させることが可能であればそれを企てるべきことは当然のことである.一方,がん性疼痛のように,原因がわかっていても,根本的に痛みを消失させうる方法がない痛みも存在する.しかし,根本療法がないからとして放置し,患者に苦痛を与え続けることは医療者にとってはいかにも悲しいことである.さらには,まったく原因を特定できない痛みもわれわれの周りに多く存在する.
このような多用な痛みを理解していたのであろう医聖ヒポクラテスは「痛みを御するは神の業なり」と述べたと聞き及んでいる.
確かに,それを専門としているわれわれにとっても,痛みの治療は難しいといわざるを得ないところがある.しかし,近年の痛みに関する機序の解明やそれによってもたらされた治療法の進歩・変遷にはかなりなものがある.痛みを訴える患者を診て,顔や頭が痛くとも,胸が痛くとも,腰が痛くとも“はいどうぞ,痛み止めです”と消炎鎮痛薬を処方する時代では少なくともなくなったのである.
高齢化社会を迎えて,痛みを主訴として一般医家を受診する患者は増えこそすれ減ることはないと思われ,これらの患者に対して第一線の場でも,今日の痛みに関する常識を踏まえて対応していただきたく,本書“痛み読本”の発行を企画した次第である.
今回各種の分野の第一線で活躍する多くの方々に執筆を依頼したのは,単に痛みの何たるかを理解してほしいからではなく,日常の臨床で“痛みの治療の入門書”として,本書を活用していただこうと考えたからである.
本書が,諸家の日常診療に寄与し,引いては患者のQOLの維持・向上に役立つことを願うものである.
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