序 文
かつて心筋炎と心筋症は遠く離れた存在であり,この二つの疾患を同時に議論することは無謀に思えた時代があった.しかし,その時代においてさえも,病理学的検索を通じて両者の一部には共通点が見出されることを指摘する研究者がいたことも事実である.近年循環器疾患を席巻した免疫学,分子生物学,そして遺伝学研究の成果は,心筋炎と心筋症を極めて近い疾患として捉え直し始めている.今や,全ての心筋疾患は常に一つの範疇で語られ,理解されねばならない時代背景になってきている.心筋炎は心臓における炎症として集約されるのではなく,感染因子や障害因子に対する心筋の応答として,あるいは心筋疾患への初期病像として,また難治性病変への展開過程として注目されているのである.本来,臨床経験の積み重ねが一つの類型を生み出し,病理学的特性と臨床所見の相似性から一つの疾患概念がまとめられてきた.心筋疾患はこの原則的手法では攻めきれない困難性を内包していた経緯がある.心臓へのウイルス感染が良い例である.心臓のウイルス感染症が即ち心筋炎ではない.むしろ多くの感染者は無症状,無徴候で推移する.そして極一部のものだけが炎症が顕在化し,活動性心筋炎と呼ばれる臨床病態を呈する.またあるものは無症状・無徴候で推移したにも拘わらず,ウイルス感染を契機に免疫応答に変調を来たし,遷延する心筋炎や自己免疫性心筋炎を経て最終的に拡張型心筋症として発症するかも知れない.またあるものは感染を契機に歪な心筋細胞肥大や心室壁厚増大を発症し肥大型心筋症と呼ばれる.そして感染の修復過程で生じた線維化が心外膜心筋や心内膜心筋レベルで水平方向進展したとするとそれは拘束型心筋症と診断される.ウイルス感染ばかりではない.遺伝子異常や心筋虚血,心毒性も然りである.こうして,病態の類似性より,むしろ病因の特定とその病理解明に多くの精力が費やされはじめている.これが今日の心筋炎・心筋症臨床における到達段階であろう.
今回の編集に当たってはこの到達段階に最も留意した.幸いにも本邦は心筋炎・心筋症について最新知見を発信している著名な研究者に恵まれている.その方々に無理を承知でかかる観点での執筆をお願いした.満足すべき内容が盛られたと自負している.是非,病因論を踏まえた心筋症・心筋症臨床の一助に加えて頂きたい.また,一例でも多くの症例で個々の病因に基づく効果的な介入点を見出し,最適の治療法を選択して頂きたいと願っている.患者が難治性終末病像に至らぬ前に編者の意図が活かされれば,それはまさに望外の喜びと言えるであろう.
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