序文
本書の「初版」が上梓されたのが1977年のことで,この年のノーベル生理学・医学賞はYalow(ラジオイムノアッセイの開発),およびSchallyとGuillemin(視床下部ホルモンの同定)に与えられたことを鮮明に覚えている.1960年に大学を卒業して以来,婦人科内分泌学の研究に携わってきたわたしにとって,この2つの偉業は仕事を進めるうえでの強力な道具立てとなった.
「増補第2版」は1981年に出された.改訂したい点は多々あったが,日々の多忙にかまけていくつかの要点を増補するに留まった. それからかなりの年月が流れ,この度ようやく改訂の作業がまとまって,「新訂第3版」を出すこととなった.
この間にホルモンや内分泌学の概念は大きく変貌した.「内分泌器官から分泌されたホルモンが血流を経て標的器官に到達し,レセプターと結合して作用を発揮する」という内分泌学の根本理念は揺らいだ.その端緒となったのは前述のSchally
,Guilleminの両グループによって同定された視床下部ホルモンであり,単に向下垂体性ホルモンであるのみならず,シナプスにおける神経伝達物質でもあり,また卵巣や膵ラ氏島で分泌され,作用する局所ホルモンでもあることが判明した.ホルモンとともに,成長(増殖)因子やサイトカインが生理活性物質として登場し,これらは多くの場合,傍分泌,あるいは自(己)分泌の様式で働くことが明らかにされた.1986年のノーベル生理学・医学賞がCohen
とMontalcini(神経成長因子,表皮成長因子の発見)に与えられたのは画期的,かつ象徴的な出来事であった.今日では「ホルモン」はホルモン,成長因子,サイトカイン,その他の生理活性物質のすべてを含むと考えられるようになり,「内分泌学」も傍分泌学,自(己)分泌学を包含する分野と位置づけられるようになった.
さらに分子生物学万能の時代が到来し,内分泌学もその洗礼を受けて大いなる飛躍を遂げた.この分野でのノーベル生理学・医学賞の受賞者は枚挙に暇がないが,すべてはWatson,Crick
,Wilkins(DNA二重螺旋模型の提唱)に始まる(1953年の"Nature"誌に発表,1962年にノーベル賞を受賞),いわゆるWC元年であり,その後の分子生物学,分子遺伝(子)学の進歩は瞠目に価する.細胞の生死についての見方を根本的に変えたアポトーシスのコンセプトも,DNA
断片化の証明や関連遺伝子の発見により確率された.
このような医学,生物学におけるパラダイム・シフトにより,生殖生理学,生殖内分泌学の分野にも驚くべき進歩,発展がみられた.検査,診断法の進歩は申すに及ばず,治療の面では遺伝子組み替えペプチド(recombinant
FSHなど)が用いられるようになった. 本書の「初版」「増補第2版」を読みながら,改訂を進めて行く過程で,斯界の進歩と発展に今昔の感にひとしおであり,新たに稿を起こした部分や,全面的に書き改めた部分の方がむしろ多い.
「初版」以来,わたしが強調してきたのは「排卵障害の診断と治療」に当たっては,(1)まず,正常な排卵機構の充分な理解が不可欠であること,(2)
月経異常という症候にとらわれることなく,原因となっている排卵障害の病因と障害部位を正しく鑑別したうえで治療方針を決めること,の二点であった.今回の「新訂第3版」でもこの考え方は変わることなく踏襲されている.
教科書はさておき,わが国の医学専門書で改訂版を重ねる例は少なく,「新訂第3版」の出版は著者にとってこの上ない大きな喜びである.ここに多くの読者諸賢のこれまでのご支持に深謝し,「新訂第3版」についてもご愛読をお願いするとともに,足らざる点,誤れる点はご教示いただければ幸いである.
京都大学,神戸大学,和歌山県立医科大学,そしてウースター医学研究所,ミュンヘン大学など,わたしのサイエンティフィック・キャリアーを通じてご指導いただいた恩師と同学(同僚)たち,とくに若い同学(同僚)たちからのご教示に対して深甚なる敬意と謝意を表したい.嶋本都多子博士には図表の作成や校正の過程で多大のお力添えをいただき,感謝の気持ちでいっぱいである.
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